イタリア北西部ピエモンテ州。アルプス山脈の麓に広がるランゲの丘陵地帯は、世界でも屈指のワイン名産地として知られています。その中でも「バルバレスコ(Barbaresco)」は、同じネッビオーロ種から造られるバローロと並び称される偉大な赤ワイン。しばしば“バローロの妹”と呼ばれますが、その表現には単なる格下という意味ではなく、バローロが力強く男性的なのに対し、バルバレスコはしなやかでエレガントな「女性的」魅力を持つことを示しています。
バルバレスコの名が広く知られるようになったのは19世紀後半。醸造学者ドン・ドメニコ・カヴァッツァがこの地の生産者をまとめ、協同組合を設立したことがきっかけでした。彼はバローロの成功を意識しつつも、バルバレスコ独自のスタイルを確立するため、より繊細で調和のとれたワイン造りを目指しました。
1950年代には品質の低下に危機感を抱いた若手生産者たちが「プロドゥットーリ・デル・バルバレスコ(Produttori del Barbaresco)」を結成。協同組合として品質を高める取り組みを続け、現在ではこの組合が世界的に高い評価を得ています。
バルバレスコの原料であるネッビオーロ種は、ピエモンテを代表する黒ブドウ品種。晩熟で扱いが難しい反面、成熟すれば薔薇やスミレ、トリュフ、スパイスなど複雑な香りを放ちます。
同じネッビオーロでも、バローロより標高が低く、気候が穏やかなバルバレスコ地区ではブドウの成熟が早く進みます。そのためタンニンはやや柔らかく、酸とのバランスが美しいのが特徴です。口に含むと赤い果実やスミレの香りが広がり、しっとりとした余韻が長く続きます。
熟成の法定期間は最低26か月(そのうち9か月は樽熟成)。バローロより1年短いため、比較的若いうちから楽しめる点も魅力です。ただし、優れたヴィンテージは10年、20年と熟成を重ねることで驚くほどの深みと艶を帯びます。
バルバレスコの生産地域は、バルバレスコ村、ネイヴェ村、トレイーゾ村の3つの村とサン・ロッコ地区。いずれもランゲ丘陵に位置しながら、土壌や標高、風の通り方に微妙な違いがあります。
バルバレスコ村:最も古典的なスタイルで、バランスの取れた気品ある味わい。
ネイヴェ村:果実味が豊かで華やかな香り。やや親しみやすい印象。
トレイーゾ村:標高が高く、酸がしっかり。長期熟成型のワインが多い。
こうした地域差を感じながら飲み比べるのも、バルバレスコの楽しみ方のひとつです。
バルバレスコはデリケートな酸味とエレガントな香りを生かすため、少し冷やしすぎない18℃前後が適温。抜栓後はしばらく空気に触れさせることで、奥に潜む香りが花開きます。
合わせる料理としては、ピエモンテの名物であるタヤリン(黄身たっぷりのパスタ)やトリュフを使った料理が王道。また、日本料理ならすき焼き、鴨のロースト、醤油ベースの煮物とも好相性です。肉の旨味とワインの繊細な酸、熟成香の調和が絶妙です。
バルバレスコを語る上で外せないのが「ガヤ(Gaja)」。創業者アンジェロ・ガヤは革新的な醸造技術を導入し、バルバレスコを世界的な高級ワインの地位へと押し上げました。彼の造る「ソリ・サン・ロレンツォ」「ソリ・ティルディン」などの単一畑シリーズは、まさに芸術品と称される存在です。
一方で、プロドゥットーリ・デル・バルバレスコのような協同組合ワインも高品質かつコストパフォーマンスに優れ、初心者にもおすすめです。
バローロのように威風堂々とした力強さではなく、控えめでありながら確かな芯を感じさせる。それがバルバレスコの本質です。しなやかで奥深い香りと味わいは、時を重ねるごとに魅力を増し、飲む人の心を静かに満たします。
グラスの中に広がるその優美な世界は、まるで熟成を重ねた女性のように、穏やかで気品にあふれています。
バルバレスコは、イタリアワインの中でも特に繊細で調和のとれた存在。ネッビオーロが織りなす香りの複雑さ、テロワールの違い、そして時間が育む奥行き。そのすべてが一体となって、「飲む芸術」と呼ぶにふさわしい魅力を放ちます。
力強いバローロに対して、しなやかに寄り添うバルバレスコ――その優雅な一杯を、ゆっくりと味わってみてください。