ワインの世界には、派手な香りや濃厚な味わいで人々を魅了する“スター品種”が存在する一方で、静かに世界中の食卓を支えてきた“縁の下の力持ち”のようなブドウもあります。その代表格が「トレッビアーノ(Trebbiano)」です。
イタリア全土で最も広く栽培されている白ブドウの一つでありながら、知名度は必ずしも高くありません。しかし、トレッビアーノはその高い生産性、爽やかな酸味、そしてブレンドの柔軟性で、多くのワインに欠かせない存在となっています。
トレッビアーノという名前は、実はひとつのブドウを指す言葉ではありません。イタリア各地で使われるこの名前のもとには、いくつかの異なる系統が存在します。
最も広く知られるのは「トレッビアーノ・トスカーノ(Trebbiano Toscano)」で、これはフランスで「ユニ・ブラン(Ugni Blanc)」と呼ばれ、コニャックやアルマニャックの蒸留用ブドウとしても使われています。
他にも「トレッビアーノ・ダブルッツォ(Trebbiano d’Abruzzo)」「トレッビアーノ・スポレティーノ(Trebbiano Spoletino)」などがあり、地域によって香りや味わいに個性が見られます。
例えば、アブルッツォ州のトレッビアーノ・ダブルッツォは、厚みのある果実味とややオイリーな質感を持ち、時に熟成にも耐える上質なワインを生み出します。一方、トスカーナやウンブリアのトレッビアーノ・トスカーノは、軽やかでシャープな酸味を特徴とし、日常的に楽しめるカジュアルなワインに仕立てられることが多いのです。
トレッビアーノの魅力は、その「クリーンでフレッシュな味わい」にあります。
レモンやグリーンアップル、白い花を思わせる香りを持ち、酸がしっかりしているため、口当たりは非常に爽やか。アルコール度数も控えめで、軽やかな印象を与えます。
一方で、収穫時期や醸造法によっては、熟した洋ナシやハチミツ、アーモンドのようなニュアンスが現れることもあります。ステンレスタンクでの発酵では清潔感が際立ち、樽熟成を経たものはわずかなスモーキーさやナッツ香をまとい、深みのあるスタイルに仕上がります。
トレッビアーノのもう一つの魅力は、その「食事との親和性」です。
軽やかでバランスの取れた酸味が、イタリア料理はもちろん、和食にもよく合います。
特に、以下のような料理との相性は抜群です。
カルパッチョやマリネなど、酸味を活かした前菜
アサリのスパゲッティやシーフードリゾット
鶏肉や白身魚のグリル
和食では、天ぷらや冷ややっこ、寿司にも好相性
温暖な気候の海沿いで飲むトレッビアーノは、まるで潮風と共に味わう一杯のような清々しさを感じさせます。
かつて“量産型”と見なされていたトレッビアーノですが、近年では高品質ワインの生産者たちによって再評価が進んでいます。
特に「トレッビアーノ・ダブルッツォDOC」は、その象徴的存在です。アブルッツォの伝統的生産者エドゥアルド・ヴァレンティーニによるトレッビアーノ・ダブルッツォは、世界のワインファンを驚かせた逸品。長期熟成にも耐え、シャルドネやリースリングにも匹敵する複雑さを備えています。
この流れを受けて、他の地域でも“トレッビアーノの再発見”が進みつつあります。クリーンで安価な日常酒から、テロワールを映す高品質な白へ──その幅広さこそ、トレッビアーノの真価なのです。
トレッビアーノ・トスカーノはフランスに渡り、「ユニ・ブラン」として新たな役割を担いました。コニャックやアルマニャックの主要原料として、蒸留酒の世界でも欠かせない存在となっています。
また、オーストラリアやアルゼンチンでも少量ながら栽培され、フレッシュでコストパフォーマンスに優れた白ワインとして親しまれています。
このように、トレッビアーノは国境を越えて“多才な白ブドウ”として進化を遂げているのです。
トレッビアーノは、派手さや濃厚さで勝負するタイプのワインではありません。しかし、その穏やかでバランスの取れた性質こそ、長年にわたって人々の生活に寄り添ってきた理由です。
日常の一杯として、また高品質な熟成型白ワインとして──トレッビアーノは、これからも静かにワインラヴァーの心を掴み続けるでしょう。