ワインの世界には、歴史の中で姿を消したと思われたブドウ品種が、奇跡的に復活を遂げたというロマンあふれる物語がいくつかあります。その中でも最も劇的な復活劇の主役が、「カルメネール(Carménère)」です。
ボルドー原産のこのブドウは、19世紀のフィロキセラ禍によって絶滅したと考えられていました。しかし20世紀末、遠く離れた南米チリの地で、ひっそりと息づいていたのです。
カルメネールはもともと、フランス・ボルドー地方で栽培されていたブドウ品種のひとつでした。メルローやカベルネ・フランとともにブレンドに使われ、ワインに深みとスパイス感を与える役割を担っていました。
しかし19世紀後半、ヨーロッパを襲ったフィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)による被害で、カルメネールは壊滅的な打撃を受けます。他の品種は接ぎ木技術によって復興しましたが、カルメネールは生育が難しく、収穫期の遅さや病害への弱さもあり、再び植えられることはありませんでした。
こうして長い間、「カルメネールは消えた」と信じられていたのです。
カルメネールが再び脚光を浴びるのは1990年代のこと。
チリでは当時、「メルロー」として栽培・販売されていたワインがありました。しかし、専門家たちは「このメルローにはどこか違和感がある」と感じていたのです。色がより濃く、香りにはピーマンや黒胡椒のようなスパイシーさ、味わいにはまろやかなタンニンとボリューム感がありました。
1994年、フランスの植物学者ジャン=ミシェル・ブースクがDNA分析を行った結果、その正体が実は失われたと思われていたカルメネールだったことが判明します。
チリの気候がこの品種に理想的だったこともあり、カルメネールは一気にチリワインの象徴として世界に知られるようになりました。
チリの中央部、特にマイポ・ヴァレーやコルチャグア・ヴァレーなどは、カルメネールにとってまさに理想的な土地です。
昼夜の寒暖差が大きく、日照時間が長いため、ブドウはしっかりと成熟しながらも酸を保つことができます。土壌は排水性が高く、余分な水分を逃がすことで、濃縮した果実味と豊かな香りを育むのです。
カルメネールは、他の品種に比べて熟成が遅く、晩熟型です。そのため、チリのように長い秋が続く地域でなければ、十分に成熟せず、青臭さが残ってしまいます。こうした気候条件を自然に備えていることが、チリが“カルメネールの国”と呼ばれる所以なのです。
カルメネールのワインは、深いルビーレッドの色合いとともに、熟したブラックチェリー、プラム、カシスといった果実の香りが広がります。
さらに、チョコレートやコーヒー、黒胡椒、タバコといった複雑な香りが重なり、芳醇かつ奥行きのある印象を与えます。
味わいは柔らかく、タンニンがきめ細やかで、丸みを帯びた口当たりが特徴です。カベルネ・ソーヴィニヨンほどの力強さはないものの、より親しみやすく、エレガントなニュアンスを持ち合わせています。
また、軽めに造られたカルメネールはスムーズで飲みやすく、重厚に仕上げられたものはしっかりとしたボディと熟成ポテンシャルを備えています。
カルメネールの柔らかなタンニンとスパイシーな香りは、肉料理との相性が抜群です。
特におすすめは、牛ステーキやラムチョップ、グリルした鴨など。中でも、チリ風のスパイシーなバーベキューやハーブを効かせた肉料理は、その風味を一層引き立てます。
また、チョコレートや燻製料理、きのこを使った煮込みとも好相性。和食では、照り焼きソースや味噌だれを使った料理にもよく合います。
カルメネールは、いまやチリを代表するブドウ品種です。かつてボルドーで失われたこのブドウが、チリの大地で新たな命を得たことは、まるでワインの神が与えた第二のチャンスのようです。
チリのワインメーカーたちはこの奇跡のブドウを誇りに思い、単一品種ワインとしての品質向上に情熱を注いでいます。
今日では、カルメネールはチリの“国民的ブドウ”として世界中に輸出され、チリワインの象徴となりました。その存在は、ワインが単なる飲み物ではなく、歴史や文化、土地の物語を映す芸術であることを教えてくれます。
カルメネールは、過去の悲劇を乗り越え、再び世界にその名を知らしめた奇跡のブドウです。
そのグラスの中には、チリの太陽と風、そして蘇った命の物語が凝縮されています。
一口飲むたびに感じる深みと温かさ。それが、カルメネールというワインの真の魅力なのです。