フランス・ブルゴーニュ地方、コート・ド・ニュイのヴォーヌ=ロマネ村に位置する「エシェゾー(Echézeaux)」は、ワイン愛好家の間で“秘宝”とも称される特級畑(グラン・クリュ)です。隣には世界最高峰のワインとして知られる「ロマネ=コンティ」や「グラン・エシェゾー」があり、その名の響きだけでも胸が高鳴るという人も少なくありません。
しかし、エシェゾーは単なる“有名畑の隣”ではなく、独自の個性と複雑さを備えた、ブルゴーニュらしさの象徴ともいえる存在なのです。
エシェゾーはおよそ37ヘクタールという比較的大きな面積を持つグラン・クリュで、ブルゴーニュの特級畑の中では最大級の規模を誇ります。この広さが、エシェゾーの多様性と複雑さの源でもあります。
畑は9つの区画(リューディ)に細分化されており、標高や土壌、傾斜の違いによって微妙に性格が異なります。上部の区画は石灰質が豊富で、ミネラル感のある緊張感の高いワインが生まれます。一方、下部の粘土質の強い区画では、果実味が豊かでふくよかな味わいが特徴です。
つまり、同じ「エシェゾー」という名を冠していても、生産者や区画によってまったく異なる個性を楽しめる。これこそが、ブルゴーニュワインの奥深さを象徴しているのです。
エシェゾーの名を語るうえで欠かせないのが、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ=コンティ(DRC)の存在です。世界最高のワインを造るこのドメーヌは、エシェゾーにも畑を所有し、そのワインはまさに別格の評価を受けています。
DRCのエシェゾーは、ロマネ=コンティの厳格な哲学に基づいて造られており、驚くほど緻密で気品に満ちたスタイル。スミレやチェリーの香り、ほのかなスパイス、長く続く余韻――まさに“ロマネ=コンティの弟分”と呼ぶにふさわしい完成度です。
とはいえ、DRCだけがエシェゾーを語る資格を持つわけではありません。ジャン・グリヴォ、ミシェル・グロ、モンジャール=ミュニュレ、ルロワ、そしてクロード・デュガといった名門生産者たちも、それぞれの哲学と畑への情熱を注ぎ、独自のエシェゾーを生み出しています。
若いエシェゾーは、赤い果実やスミレのような華やかな香りが印象的です。ピノ・ノワール特有の繊細な酸としなやかなタンニンがあり、飲み口は驚くほどエレガント。しかし、時間が経つにつれて土やきのこ、トリュフ、革といった熟成香が現れ、深みと複雑さが増していきます。
エシェゾーは、他の特級畑に比べるとやや柔らかで親しみやすい印象がありますが、それは決して単純さを意味しません。むしろ、若いときから美味しく、熟成によってさらに妖艶さを帯びていく、変化に富んだワインなのです。
ヴィンテージにもよりますが、熟成のピークは10年から20年ほど。長期熟成を経ると、果実味と旨味、スパイスの調和が極まり、ブルゴーニュらしい官能美を放ちます。
エシェゾーの魅力は、まさに「生産者による表現の違い」にあります。たとえば、DRCのワインは緊張感と気品を併せ持ち、完璧なバランスを追求したスタイル。一方で、ルロワは濃密で官能的、ミシェル・グロは果実味豊かで親しみやすく、モンジャール=ミュニュレはクラシカルで落ち着いた印象を与えます。
同じ畑から、これほど多彩な表現が生まれるのは、エシェゾーが持つテロワールの幅広さゆえ。まるで音楽のテーマを異なる楽器で奏でるように、造り手たちはそれぞれの感性で「エシェゾー」という名曲を演奏しているのです。
エシェゾーの繊細で深みのある味わいは、さまざまな料理と見事に調和します。若いヴィンテージなら鴨のローストや仔牛のグリル、熟成を重ねたものならジビエやトリュフを使ったリゾットがおすすめ。きのこやフォアグラといった香りの強い食材とも好相性で、料理の旨味を優雅に包み込みます。
また、ブルゴーニュの伝統料理「コック・オ・ヴァン(鶏の赤ワイン煮)」や「ブッフ・ブルギニョン(牛肉の赤ワイン煮)」との相性も抜群。エシェゾーの柔らかくも力強い風味が、ソースのコクを引き立ててくれます。
エシェゾーは、“偉大なワイン”であると同時に、“多様な魅力を持つワイン”です。ロマネ=コンティの隣という名声を背負いながらも、自らの個性をしっかりと主張する誇り高き存在。華やかでありながら奥深く、親しみやすさの中に高貴さを秘めています。
その味わいはまさに、ブルゴーニュの精神そのもの。テロワールを尊び、時間とともに変化し、飲む人の感性を静かに揺さぶる。エシェゾーは、ワインを「飲むもの」から「感じるもの」へと昇華させてくれる、唯一無二の存在なのです。
ブルゴーニュのワインは「畑の違いがすべて」と言われますが、エシェゾーほどその言葉を体現している畑は多くありません。広大な区画と多様なテロワール、個性豊かな生産者たちの表現。それらが重なり合い、無限の魅力を生み出しています。
一口飲めば、華やかさと静けさが共存するような不思議な余韻が広がり、ブルゴーニュという土地の詩情を感じることができるでしょう。
エシェゾー。それは、ワインの世界における“複雑の美学”を体現する、永遠の名畑です。